コカインは、単なる違法ドラッグではなく、「アンデス山脈の農村からニューヨークやロンドンのナイトクラブまで」を一本の線でつなぐ巨大な国際ビジネスでもある。国際機関の推計では、世界のコカイン市場は近年、急拡大を続けており、2023年の世界生産量はおよそ3,708トン、利用者は約2,500万人に達したとされる。その背後には、アンデス3国(コロンビア・ペルー・ボリビア)での栽培・加工、中央アメリカやカリブ海・西アフリカを経由した密輸ルート、ベルギーのアントワープ港やオランダのロッテルダム港といった欧州のハブ港湾、そして北米・欧州・オセアニアの高価格市場が連なっている。
本稿では、コカインを例に「コカイン回廊」とも呼べるこのサプライチェーンを、一本の経済回路として見ていく。農園から都市のストリートまでの間で、どのようにコストとリスクが積み上がり、最終的に国家予算級の規模になるのか。国連薬物犯罪事務所(UNODC)や欧州刑事警察機構(ユーロポール)の公開データを手掛かりに、構造と価格のメカニズムを整理してみたい。
コカイン回廊とは何か:アンデスから世界の都市へ
コカインの原料であるコカの栽培と精製の中心は、長年にわたりコロンビア・ペルー・ボリビアの「アンデス三国」がほぼ独占してきた。国連の報告によれば、コカの栽培面積と純粋なコカイン生産量は2020年以降急増し、2021年にはコカ栽培面積が35%増加するなど、過去最高水準に達したとされる。
ここで生産されたコカインは、主に二つの大きな方向に向かう。一つは、メキシコや中央アメリカを経由してアメリカ合衆国・カナダに至る「北米ルート」。もう一つは、カリブ海や大西洋・西アフリカ・ブラジルなどを経由し、ベルギー・オランダ・スペイン・ドイツといった欧州の港湾を目指す「欧州ルート」である。
アメリカ合衆国は依然として世界最大級のコカイン消費市場だが、21世紀に入ってからは西ヨーロッパ・中南米・オーストラリア・東アジアなど、複数の地域で市場が拡大している。2021年にはEU加盟国だけで303トンものコカインが押収され、アントワープやロッテルダムなど北海沿岸の港が主要な流入拠点になっていると報告されている。
つまりコカイン回廊とは、アンデス山脈の山間部から世界の港湾・都市を結びつける「グローバルな物流ネットワーク」であり、その途中にメキシコの麻薬カルテルやヨーロッパの犯罪シンジケート、西アフリカやカリブ海の中継組織など、多数のプレイヤーが連結している構造といえる。
サプライチェーンと価格の積み上がり:農園からストリートまで
コカインの価格は、生産地から消費地に近づくほど指数関数的に跳ね上がる。UNODCのデータでは、生産国周辺での卸売価格が1キロ数千ドルから1万ドル台の水準であるのに対し、ヨーロッパや北米の都市部では純度や荷姿にもよるが、卸売価格が1キロ数万〜数十万ドル、ストリートレベルでは1グラムあたり数十〜百ドル前後になる国も少なくない。
この「値段の乗り方」は、単なる輸送コストでは説明できない。大きな要素になっているのは、リスクプレミアムだ。取締まり・没収・逮捕・暴力的な奪い合いのリスクが高いほど、組織はその分を価格に上乗せする。また、各段階に介在する組織が多いほど、マージンの取り分が積み重なっていく。
上流:アンデス山脈の生産地
最上流にいるのは、コカの栽培農家や、山間部でコカインペーストを製造する小規模な加工業者だ。彼らの多くは貧困地域に住み、合法作物よりも高い収入を求めてコカ栽培に従事するが、一世帯あたりの収入はサプライチェーン全体から見ればごくわずかである。
- 収入:他の農作物より高いが、1キロあたりの最終的な売上のごく一部にすぎない。
- リスク:国家の撲滅作戦や内戦・武装勢力との板挟みで、生活基盤そのものが不安定。
- 代替手段:道路や市場へのアクセスが乏しく、合法経済への接続が弱いため「他に選択肢がない」構造になりやすい。
中流:トランジットルートとハブ港湾
中流に位置するのが、メキシコや中央アメリカ、カリブ海諸国、西アフリカ、ブラジルなどの「トランジット国」である。コカインは陸路・空路・海路を組み合わせて運ばれ、その過程でメキシコのシナロア・カルテルなど複数の組織犯罪グループが輸送を請け負う。
欧州向けルートでは、大西洋を渡ったコンテナ船がベルギーのアントワープ港やオランダのロッテルダム港、スペインのアルヘシラス港などに到着し、そこで大型ロットの荷物が細分化されていく。欧州刑事警察機構の報告によれば、供給チェーンの効率化によってヨーロッパ向けのコカイン供給は近年「バブル」のように膨らみ、北海沿岸が新たな中心ハブとなっている。
下流:消費国の都市市場
最終段階は、ニューヨーク、ロサンゼルス、ロンドン、パリ、シドニーなどの大都市に広がる小売市場だ。ここではグラム単位・線(ライン)単位で販売され、パーティー・クラブ・ビジネス街・富裕層住宅地など、消費者の生活圏に「最後の一歩」を届けるために、多数の末端ディーラーや中小ギャングが動員される。
ストリート価格には、以下のようなものが折り込まれている。
- 末端ディーラーの逮捕リスクと、そこから上流組織に情報が遡るリスク。
- 高所得者向け市場から得られる「価格支配力」。
- 純度調整や混ぜ物に関する裁量(これは健康被害のリスクを高める)。
具体事例:コロンビア・メキシコ・欧州港湾を結ぶコカイン回廊
ここでは、報道や国際機関の説明をもとに、代表的なパターンを二つに整理してみる。個別事件の詳細な再現ではなく、あくまで構造的な「典型例」として理解してほしい。
ケースA:アンデスからアメリカ合衆国への「北米ルート」
アメリカ合衆国向けのルートでは、コロンビアやペルーで製造されたコカインが、まず太平洋・カリブ海沿岸に運ばれ、そこから船舶・高速艇・軽航空機などで中央アメリカやメキシコの沿岸に送られる。米司法省などの説明によると、コロンビア発のコカインは、中米やカリブ海を通過し、メキシコを経由して米国南部の国境を越えてくるパターンが長年支配的だった。
この間に関与する主なプレイヤーは次の通りである。
- アンデス側の供給グループ:コカインを大量ロットで出荷する。
- メキシコのカルテル:輸送・越境・国内流通の大部分を掌握し、高いマージンを取る。
- 米国内のディストリビューター・ギャング:大都市圏での地域分配と小売りを担当する。
米国市場は高い購買力を持つため、1キロあたりの最終売上は生産地の数十倍に達しうる。上流で1キロ1万ドルだったものが、米国内の小売レベルでは合計で10万〜数十万ドル規模の売上になると推計されるケースもある。この差額のかなりの部分が、メキシコのカルテルや米国内ディストリビューターの収益となり、武装・汚職・政治工作などの原資となっていく。
ケースB:アンデスからヨーロッパ港湾への「欧州ルート」
もう一つの典型が、アンデスから欧州へ向かうルートだ。ここではブラジルやエクアドルなどの港から大型コンテナ船に積み込まれたコカインが、大西洋を渡ってヨーロッパの港湾に到着する。途中で西アフリカ沿岸を経由し、脆弱な沿岸国を中継地点として利用するケースもある。
欧州側では、ベルギーのアントワープ港、オランダのロッテルダム港、スペインのバレンシア港などが主要な入口になっており、EU加盟国全体でのコカイン押収量は2021年に303トンと過去最高を記録した。押収量が増えているということは、裏を返せば、それだけ大量のコカインがヨーロッパ市場に流れ込んでいることを意味する。
欧州刑事警察機構や各国警察の分析によれば、2020年時点でヨーロッパのコカイン小売市場の価値は少なくとも105億ユーロ(約1.5兆円)と見積もられている。港湾都市では街のインフラ・物流企業・港湾労働者などが「合法経済」として存在しているが、そのごく一部がカルテルによる汚職や脅迫に巻き込まれることで、港湾全体が「見えないコカイン回廊」の一部になってしまう。
ケースC:国際協力作戦による一時的な打撃
一方で、コカイン回廊は国際協力によって一時的に打撃を受けることもある。2024年には、コロンビア主導で62カ国が参加した国際作戦「オリオン作戦」により、約225トンのコカインが6週間で押収されたと報じられた。押収という形で市場に到達しなかった量は膨大だが、カルテル側はルートや輸送手段(いわゆる「ナルコ潜水艇」など)を次々と変化させ、再び回廊を再構築していく。
合法経済との比較:なぜ「国家予算級」と言われるのか
世界のコカイン市場の正確な規模を測るのは難しいが、UNODCの分析によると、2000年代後半には世界のコカイン小売売上が世界GDPの約0.15%程度に相当したと推定された。見方を変えれば、中規模国家の年間予算に匹敵する規模の資金が、「白い粉」を介して動いている計算になる。
ヨーロッパだけを見ても、小売市場の価値は少なくとも100億ユーロ規模とされ、これは一部の合法産業(たとえば特定の農産物輸出や中小規模の製造業)と同等か、それを上回る売上高に相当する。
重要なのは、これらの売上の多くが「課税されず」「統計に現れず」「再投資先も追跡困難」な形で動いていることだ。正規の企業であれば法人税や所得税として国庫に戻るはずの資金が、カルテルの手元に残り、武装や汚職、さらなる闇ビジネスへの投資に使われる。結果として、
- 税収の欠如 → 公共サービスの質低下やインフラ投資の遅れ
- 闇資金の蓄積 → 不動産・観光・金融など合法セクターへの浸透
- 暴力装置の強化 → 治安維持コストの爆発的増加
といったかたちで、「国家財政」と「カルテル経済」が見えない綱引きを続けることになる。
コカイン回廊がもたらす社会的コストと政策のジレンマ
世界のドラッグ市場は、コカインだけでなくメタンフェタミンや合成オピオイドなどの急成長もあり、被害とスケールの両面で拡大し続けている。国連の最新報告では、コカイン市場が最も速いペースで成長しているとされ、生産量と利用者数ともにこの10年で大幅に増加した。
コカイン回廊がもたらす社会的コストは、単に「依存症や健康被害」にとどまらない。
- 中南米諸国では、カルテル間抗争や治安部隊との衝突により、年間で数千人規模の殺人が発生する年もある。
- 港湾都市やトランジット国では、汚職と暴力がビジネス環境を悪化させ、正規企業の投資意欲を削ぐ。
- 欧州や北米の都市では、コカインの高純度化と多様な混ぜ物により、急性中毒や精神疾患のリスクが高まっている。
対策としては、
- 生産国での代替作物支援・農村開発
- 港湾・空港でのコンテナ検査の高度化やリスクベースの選別
- 金融システムにおけるマネーロンダリング対策(AML/CFT)
- 需要側、つまり消費国での依存症治療・教育・ハームリダクション
などが挙げられるが、その効果は限定的で、カルテル側は新しいルート・新しいドラッグ・新しい金融手段(暗号資産や地下銀行など)を使いながら一歩先を行こうとする。
まとめ:読者が意識すべきポイント
コカイン回廊の経済学をざっくりまとめると、次のようなポイントが見えてくる。
- アンデス三国(コロンビア・ペルー・ボリビア)で生産されたコカインが、メキシコ・西アフリカ・欧州港湾などを経由して、北米や欧州の都市市場へと運ばれている。
- 価格はサプライチェーンの各段階で、輸送コストだけでなく「逮捕・没収・暴力」のリスクプレミアムと、複数組織のマージンによって何十倍にも膨らむ。
- 世界のコカイン市場は、世界GDPの0.1%台に相当する規模と推計される時期もあり、一国の国家予算にも比肩しうる「影の巨大産業」になっている。
- その収益は税金として社会に還元されるどころか、武装・汚職・さらなる闇ビジネスへの投資に使われ、治安と民主主義をじわじわと侵食する。
- 取締まり・国際協力・需要削減策が進んでも、カルテル側はルートや商品を変えながら適応し続けるため、「完全な撲滅」ではなく「被害と影響をいかに抑え込むか」という発想が不可欠だ。
日本に住む私たちにとっても、これは決して遠い話ではない。日本市場に届くコカインの一部は、同じ国際回廊の中を流れてきたものだし、日本企業の物流・金融・貿易も、知らないうちにコカインマネーの洗浄ルートに利用されるリスクを抱えている。カルテル経済の構造を理解することは、「ドラッグはダメ」という道徳論を超えて、自分たちの生活や経済がどこまで世界の闇経済とつながっているのかを見つめ直す作業でもある。
九条 直哉(カルテル・ドラッグ担当)/ 犯罪経済ラボ
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