人身売買は「一部の国で起きる犯罪」ではなく、世界中をつなぐルート(経路)として存在しています。アフリカの内陸からリビア沿岸を経てイタリアへ、エチオピアから紅海を越えてイエメン・サウジアラビアへ、東欧から西欧の都市へ──それぞれのルートには、紛争、貧困、ビザ制度、国境管理のゆるさや厳しさといった条件が重なっています。
国際労働機関(ILO)や国連機関の推計では、現代の奴隷制に含まれる人々は世界で約5,000万人、そのうち約2,760万人が強制労働に置かれているとされています。 その一部は国内移動ですが、国境を越える移民ルートと結びついた人身取引は、明確な「動脈」として世界地図上に描くことができます。
この記事では、国連薬物犯罪事務所(UNODC)や国際移住機関(IOM)、ILOなどの公開データを手がかりに、人身売買ルートの地政学と経済合理性を整理し、具体的なケースを通じて「なぜこの道が選ばれるのか」を見ていきます。
グローバル人身売買ルートとは何か:ソース・トランジット・ディスティネーション
UNODCの「Global Report on Trafficking in Persons」は、155か国以上のデータから人身売買の「ソース国(送り出し国)」「トランジット国(経由国)」「ディスティネーション国(到着国)」を分類しています。
ざっくり言えば、次のような役割分担が存在します。
- ソース国:紛争、貧困、失業、差別などを背景に、「外に出ないと生きていけない」人が多い国(例:エチオピア、ナイジェリア、ミャンマーなど)
- トランジット国:地理的にルート上に位置し、国境管理が弱い、汚職が多い、武装勢力や犯罪組織が強い国(例:リビア、ニジェール、グアテマラなど)
- ディスティネーション国:経済規模が大きく、労働力需要や性サービス需要が高い国(例:ドイツ、イタリア、サウジアラビア、日本、アメリカなど)
人身売買ルートは、これら3層を結ぶ「動脈」として形成されます。移民ルートとほぼ重なることが多く、正規のビザや労働許可の枠が狭いほど、非正規ルートと人身取引のリスクが高まる傾向が指摘されています。
重要なのは、同じルートを「合法的な移民」「密航」「人身取引の被害者」が同時に通っていることです。外から見ると同じ船、同じトラック、同じ国境検問を通過しているように見えても、その中には「自分で選んだ移動」と「搾取に向けて連れて行かれている移動」が混在しているのです。
経済合理性から見た人身売買ルート:なぜこの道が選ばれるのか
人身売買ルートは、単に「近いから」ではなく、「コストとリスクのバランス」で選ばれます。犯罪組織にとっての主な計算要素は次のようなものです。
- 国境管理の強さ(検問の数、レーダー・監視カメラの有無)
- 汚職の程度(賄賂で通過しやすいかどうか)
- 地理条件(砂漠、山岳、海峡などのリスクと発見されにくさ)
- ディスティネーション国での利益(性産業や労働市場での「単価」)
- ビザ制度・入管制度の抜け穴(観光ビザ、留学、技能研修など)
ILOなどの推計では、強制労働から生まれる違法な利益は年間2,360億ドル規模とされます。 1人あたりの「投資額」(渡航費や偽造書類など)に対して、数年にわたって搾取できれば、ビジネスとしては非常に高い利回りになります。
トランジット国は、しばしば「弱い国家」と「強い犯罪組織」が組み合わさる場所です。国境警備の装備が不十分で、地形も過酷な一方、武装グループや組織犯罪が支配している地域では、人や貨物の「非公式な通過」がビジネス化します。地中海を目指す移民が集まるリビア、紅海を渡る前に滞留するジブチ、サハラ砂漠のハブとなるニジェールなどは、その典型です。
具体事例:アフリカから中東・欧州へ続く人身売買ルート
ここでは、特に被害と死亡事故が多いと指摘されている「東アフリカ〜イエメン〜湾岸諸国」と「サハラ〜リビア〜地中海〜欧州」の2つのルートを取り上げます。
ケース1:東アフリカから紅海を越える「イエメン経由ルート」
国連やIOMは、エチオピアやソマリアなどからアラビア半島を目指す「イースタン・ルート(Eastern Route)」を長年警告してきました。エリトリアやソマリア、エチオピアの若者が、ジブチやソマリランドの沿岸まで移動し、そこから危険なボートでイエメンへ渡り、サウジアラビアなどの湾岸諸国を目指します。
2025年には、イエメン沖のアデン湾でアフリカ系移民を乗せたボートが転覆し、70人以上が死亡、数十人が行方不明となった事故が報じられました。 紛争下のイエメンは、もともと安全なディスティネーション国ではありませんが、「湾岸諸国への通過点」として人身売買・密航ネットワークの拠点となっています。
同じルートでは、2025年6月にジブチ沖で密航業者が移民を海に飛び込ませ、少なくとも8人が死亡、20人以上が行方不明になる事件も発生しました。 こうした事故は氷山の一角であり、多くは正式な統計にすら載りません。
- ソース:エチオピア、ソマリアなど(紛争・貧困・高失業)
- トランジット:ジブチ、イエメン(紛争・国境管理の脆弱性)
- ディスティネーション:サウジアラビア、他の湾岸諸国(建設、家事労働、牧畜などへの労働需要)
ここで重要なのは、表向きは「就労機会」を探す移動に見えても、その過程でパスポートの取り上げ、借金、暴力、拘束が重なり、「強制労働」「性搾取」といった人身取引に転化していく点です。
ケース2:サハラを越えてリビアへ、地中海を渡るルート
もう一つ象徴的なのが、サブサハラ・アフリカからニジェールやマリを経由し、リビア中部の都市スルトや沿岸都市トリポリ周辺に集まり、そこからボートでイタリアやマルタを目指すルートです。IOMは2021〜2022年だけで北アフリカへの到着者46万人以上、そのうち5,000人超を人身取引被害者として登録しています。
リビアでは、国際報告書や国連の調査で、移民収容施設における暴力、強制労働、性搾取が繰り返し問題視されてきました。欧州連合(EU)は沿岸警備隊の支援やリターン・プログラムの資金提供を通じて「流入抑制」を図っていますが、その一部は「人を戻すこと」を優先するあまり、帰還後の再就職や生活支援が不十分だと批判されています。
- ソース:西アフリカ諸国(ガンビア、ギニア、ナイジェリアなど)
- トランジット:ニジェール、マリ、リビア(サハラ横断+武装グループや密輸ネットワークの支配)
- ディスティネーション:イタリア、マルタ、フランス、ドイツなどのEU諸国
このルートでは、道中で人質に取られ、家族からの送金を強要されるケースや、リビア国内で奴隷市場のように売買されるケースが報告されています。地中海を渡り切れたとしても、到着後に搾取的な労働や性産業に組み込まれるリスクは残り続けます。
紛争・貧困・気候危機:ルートを押し広げる「押し出し要因」
なぜ人は、これほど危険なルートを選ばざるを得ないのでしょうか。国連やIOM、UNHCRなどは、近年の人身売買被害者の増加の背景として、紛争、気候変動による災害、経済危機を指摘しています。
例えば、シリア内戦や南スーダンの紛争、サヘル地域の治安悪化、アフガニスタン情勢の不安定化は、大量の避難民と難民を生み出しました。彼らが「安全な第三国」まで辿り着くには、多数の国境を越える必要があり、途中で不正なブローカーに依存せざるを得ない場面が増えます。
また、干ばつや洪水などの気候災害により、農村での生活が成り立たなくなった人々が都市や他国に向かうケースも増えています。正式な移住プログラムや労働ビザ枠が限られている中で、「非公式ルート+搾取ビジネス」という組み合わせが、最も現実的な(しかし危険な)選択肢として残ってしまうのです。
ILOの推計では、強制労働下にある成人のうち、移民労働者は世界の労働力の約5%しか占めないにもかかわらず、強制労働被害者の約15%を占めるとされています。 移民であること自体が、搾取のリスクを3倍に高めているという現実があります。
国境管理と政策がルートをどう変えるのか:風船効果と新しい道
各国が国境管理を強化すると、人身売買ルートは消えるのでしょうか。実際には、「あるルートが閉じると別のより危険なルートが生まれる」という「風船効果」がしばしば観察されています。
欧州連合(EU)がトルコとの合意やエーゲ海の監視を強化した結果、バルカンルートの一部は縮小しましたが、その代わりにリビア経由の中央地中海ルートが重視された時期がありました。同様に、メキシコ国境の取り締まり強化が、より危険な砂漠越えや密閉コンテナ輸送を生んだとする指摘もあります。
最近では、EUが強制労働で作られた製品の域内流通を禁止する新たな規制を準備するなど、「モノの流れ」を通じて搾取ビジネスに圧力をかける試みも進んでいます。しかし、これは製品ベースのアプローチであり、人の移動そのものに対する包括的な対策にはなりません。
政策が「流入の削減」だけを目指すと、正規ルートにアクセスできない人が増え、結果として非正規ルートに流れ込むリスクも高まります。IOMが支援する自主帰還・再統合プログラムのように、帰還後の生活再建を重視しなければ、「借金だけが残り、再び危険なルートに乗るしかない」という悪循環が続きかねません。
規制・取り締まりの枠組みとその限界
国際社会は、人身取引を「組織犯罪」として位置付けるために、2000年の「国際組織犯罪防止条約」とその補足議定書(いわゆるパレルモ議定書)を採択しました。各国はこの枠組みに基づき、人身取引を独立した犯罪として処罰し、被害者保護と予防策を整備することが求められています。
加えて、アメリカ国務省の「Trafficking in Persons(TIP)レポート」は、世界180以上の国・地域をティア1〜3に分類し、政府の取り組みを評価しています。2025年版では、ブラジルや南アフリカが「ティア2ウォッチリスト」に格下げされ、被害者の特定や捜査・起訴の減少が指摘されました。
しかし、こうした国際評価や法制度が整っても、現場での摘発・保護には限界があります。
- 被害者が報復や国外退去を恐れて通報しない
- 国境地帯や海上での監視リソースが不足している
- 汚職や共犯関係により、捜査が意図的に遅らされる
- 被害者が「不法移民」「売春の加害者」として扱われてしまう
UNODCの最新報告では、2017年以降、多くの地域で人身取引事件の有罪判決数が減少しており、パンデミック期にはその傾向がさらに加速したと指摘されています。 被害者は増えている一方で、裁かれる加害者が減っているという逆説的な状況にあります。
まとめ:読者が意識すべきポイント
グローバルな人身売買ルートを地図として眺めるとき、見えてくるのは「悪のネットワーク」という単純な図ではありません。紛争や貧困に追い出された人々、移民労働を必要とする経済、国境管理やビザ制度の設計、汚職や組織犯罪、そして私たちの消費行動や選挙で選ぶ政策──それらがすべて一本の線の上でつながっています。
- 人身売買ルートは、ソース国・トランジット国・ディスティネーション国の組み合わせとして形成され、移民ルートとほぼ重なる。
- 紛争、貧困、気候危機、ビザ制度の狭さが「危険でも出るしかない」人々を生み、ブローカーや組織犯罪にとっての「仕入れ先」になる。
- 国境管理の強化だけではルートが別の場所に移動するだけで、「風船効果」によってより危険な道が選ばれることが多い。
- 国際条約やTIPレポートなどの枠組みは重要だが、現場の汚職・リソース不足・被害者へのスティグマにより、取り締まりと保護には大きなギャップが残っている。
- サプライチェーン上の強制労働や、私たちが消費者として選ぶサービス・製品も、間接的にこれらのルートと結びつき得る。
「どこの国が悪い」という話ではなく、「どの構造が人を追い込み、どの構造が搾取を儲かるビジネスにしているのか」を見ていくことが、犯罪経済を理解するうえでの第一歩になります。
今後の連載では、特定地域の技能実習・移民労働、オンライン性搾取、ブローカー経済、被害者の再搾取リスクなど、より個別のテーマを掘り下げていく予定です。
久世 遥(人身売買・搾取構造担当)/ 犯罪経済ラボ
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参考になる公的情報源
- 国連薬物犯罪事務所(UNODC)「Global Report on Trafficking in Persons」:各地域の人身取引ルートや被害者のプロフィール、司法統計の分析。
- 国際労働機関(ILO)・Walk Free財団などによる「Global Estimates of Modern Slavery」:強制労働・強制結婚を含む現代の奴隷制の最新推計。
- 国際移住機関(IOM)の各種レポート:地中海・アフリカ横断ルートなどでの移民・難民の移動と人身取引リスクに関する調査。
- アメリカ国務省「Trafficking in Persons Report(TIPレポート)」:各国政府の対策状況をティア分類で評価した年次報告書。
- 国連総会・人権理事会などの関連報告書:パンデミックや紛争後の人身取引動向に関する最新の分析。
重要な注意事項
本記事は、人身売買・搾取構造・闇経済などの「構造」や「歴史」「社会的影響」「規制の枠組み」を解説するものであり、実在の犯罪行為を推奨・教唆・助長する意図は一切ありません。本記事の内容を利用して違法行為を計画・実行・支援したり、具体的な手口を模倣したりすることを固く禁じます。
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