被害者はなぜ再び狙われるのか:人身売買被害者の「再搾取リスク」と支援の壁

世界では約2,760万人が強制労働下に置かれていると推計され、そのうち相当数が人身売買や搾取的リクルートの結果として拘束されています。これは世界人口1,000人あたり3.5人にあたる規模です。特に成人の強制労働被害者のうち、およそ15%が移民労働者であり、全労働人口に占める移民の割合(約5%)と比べて3倍も高いリスクにさらされていると、ILOやIOMの共同推計は指摘します。:contentReference[oaicite:0]{index=0}

こうした被害者は救出・保護されれば「問題は終わる」と思われがちですが、現場で支援に携わる団体は、同じ人が何度も搾取構造に引き戻される「再搾取(リトラフィッキング)」の深刻さを繰り返し報告しています。本稿では、国際機関のデータや欧州・アフリカの調査報告を手掛かりに、「なぜ一度救われたはずの人が再び狙われるのか」という問いを、ビジネスモデル・制度設計・支援の壁という三つの視点から整理していきます。

再搾取とは何か:人身売買は「一度きり」で終わらない

国連薬物犯罪事務所(UNODC)がまとめる「人身取引に関する世界報告書」では、女性と子どもが依然として被害者の多数を占めています。2022年のデータでは、検挙された被害者の約61%が女性と少女であり、強制労働や性的搾取に利用されているケースが多いとされています。:contentReference[oaicite:1]{index=1}

しかし、統計が扱う「被害者数」は多くの場合、「ある時点で当局や支援機関に検知された人数」を示しているに過ぎません。実際には、同じ人が複数回、別々の国・別々の業種で搾取されていることも少なくありません。国際移住機関(IOM)が自らの人身取引データベースを分析した報告によれば、「被害状況から抜け出してから2年以内に、再び人身取引に巻き込まれるケースが頻発している」とされています。:contentReference[oaicite:2]{index=2}

再搾取の背景には、貧困や紛争といった構造要因だけでなく、トラウマに起因するメンタルヘルスの問題や、教育・言語・居住資格の不足による「選択肢の狭さ」が絡み合っています。2025年にウガンダの被害者を対象に行われた研究では、子ども時代の虐待や暴力経験(いわゆるACE:逆境的小児期体験)が多いほど、不安障害やPTSDのリスクだけでなく、再トラフィッキングの脆弱性も高まるという関連が示されました。:contentReference[oaicite:3]{index=3}

つまり、人身売買から「出る」ことは、被害の終わりではなく、長い再建プロセスのスタート地点に過ぎません。そのプロセスが支援の空白や敵対的な制度に阻まれたとき、加害者側から見れば「再びリクルートしやすい人材」として再度ターゲットにされてしまうのです。

ビジネスモデルと制度の隙間:なぜ被害者が再び狙われるのか

人身売買・搾取ビジネスは、単発で利益をあげて終わる「売り切り型」の犯罪ではなく、被害者を繰り返し搾取し続ける「サブスクリプション型」の収益構造を持っています。強制労働であれば、1人の被害者から長期にわたって賃金を搾取し続けることができ、性的搾取の場合も同様に「継続的な売上」を生み出す資産として扱われます。ILOの推計によると、強制労働全体から生み出される違法な利益は、世界で年間数千億ドル規模に達しているとされます。:contentReference[oaicite:4]{index=4}

この構造の中で、一度「商品」として扱われた人は、次のような理由から再び標的になりやすくなります。

  • すでに搾取に必要な「ノウハウ」(脅し方・監視方法・借金契約など)が加害側に蓄積されている
  • 本人のパスポートや在留資格が不安定で、「訴えても自分が不利になる」という恐怖が根付いている
  • 帰還後も仕事・住居・医療などの基礎的支援が乏しく、「選べるのは危険な仕事だけ」という状態に追い込まれる
  • 家族やコミュニティが借金やスティグマを抱え、本人に「再び稼ぎに出る」プレッシャーをかけてしまう

そこに、「移民は厳しく取り締まる」「不法滞在者は送還する」といったメッセージを前面に出す移民政策・難民政策が重なるとどうなるでしょうか。加害者はそれを巧みに利用し、「警察に行けば逮捕や送還だ」「支援制度はスパイだ」と吹き込むことで、被害者を沈黙させ、逃げ道を塞ぎます。

スコットランド政府が2025年に公表した、人身取引と搾取の予防に関するエビデンスレビューでも、被害者への支援は単なる「アフターケア」ではなく、再搾取を防ぐための重要な予防策だと位置づけられています。十分な支援が届かない場合、被害者は経済的困窮とトラウマの中で再び危険な選択を取らざるをえず、結果として犯罪組織にとっての「再利用可能な資産」となってしまうのです。:contentReference[oaicite:5]{index=5}

具体事例:イギリスの近代奴隷法と「支援を拒む被害者」の増加

再搾取リスクを考えるうえで象徴的なのが、イギリスの近代奴隷制対策の現状です。イギリスでは2015年に「Modern Slavery Act(近代奴隷法)」が制定され、人身取引や強制労働への対策強化が掲げられました。しかし、その10年後を検証した2024年の調査は、制度の限界と再搾取リスクの高まりを浮き彫りにしています。:contentReference[oaicite:6]{index=6}

独立反奴隷制コミッショナーが依頼した調査によると、被害者支援に不可欠な「National Referral Mechanism(NRM:全国的な被害者認定・支援スキーム)」への参加を、被害者自らが拒否するケースが2016年から2024年の間に約630%も増加しました。2016年には762件だった拒否事例が、2024年には5,598件にまで膨らんでいます。:contentReference[oaicite:7]{index=7}

拒否の主な理由として挙げられているのは、「NRMに入ると保護ではなく強制送還につながる」という恐怖です。とりわけアルバニアやベトナムのように、イギリス政府が送還協定を結んでいる国の出身者の間では、「名乗り出ること自体がリスク」と受け止められています。その結果、被害者の多くが加害者の支配下に留まり続けたり、逃げ出しても非正規の危険な仕事に流れたりして、再搾取リスクが高まっています。

同じ時期の統計を見ると、2023年7月から2024年6月の1年間で、イングランドとウェールズにおける潜在的な近代奴隷の被害者としてNRMに紹介された人は17,120人でしたが、その間に近代奴隷関連の罪で有罪判決を受けたのはわずか58人に過ぎません。つまり、被害を申告しても加害者が処罰される確率は極めて低く、被害者にとって「司法制度への信頼」は弱いままです。:contentReference[oaicite:8]{index=8}

ヨーロッパの庇護・移民制度を分析した別の報告では、アイルランドから北アイルランドに移動するエリトリアやソマリア出身の人々が、人身取引の潜在的被害者として保護されるケースが増えている一方で、データの欠落や支援へのアクセス格差が再搾取リスクを高めていると指摘されています。:contentReference[oaicite:9]{index=9}

ケースAの流れ:支援を拒否せざるをえない構造

  • 出身国での貧困や暴力から逃れるため、密航業者やブローカーに依存しつつヨーロッパを目指す
  • 渡航費や「斡旋料」として多額の借金を負い、到着後は農業・建設・ケア労働・オンライン詐欺などの現場で働かされる
  • 警察や支援団体に接触できても、「名乗り出れば送還される」「家族への報復がある」と脅され、NRMや保護制度を拒否する
  • 公式の支援ルートから外れた結果、不安定な非正規就労に流れ、再び搾取構造に取り込まれる

このケースの重要なポイントは、「制度への不信感」そのものが加害者の道具になっていることです。被害者保護の仕組みが十分に信頼されていなければ、制度を利用するインセンティブは弱くなり、その隙間を狙って再リクルートや再搾取が行われてしまいます。

再搾取がもたらす長期的な影響:個人・コミュニティ・市場

再搾取は、被害者個人にとっての負担を何重にも増やします。長期にわたる暴力や性的搾取、過重労働は、身体的な健康だけでなく、うつ病・不安障害・PTSDといった精神的負荷を累積させます。イギリス議会向けに提出された証拠資料でも、人身売買被害者の多くが「拷問に近い体験」による深刻なトラウマ症状を抱えていることが指摘されています。:contentReference[oaicite:10]{index=10}

再搾取が繰り返されれば、被害者は教育や職業訓練の機会を失い続け、法的な地位や家族との関係も不安定なままです。その結果、「安全な仕事に就くための条件」がいつまでも整わないまま放置され、搾取と貧困のサイクルから抜け出すことが難しくなります。

また、再搾取を前提とした安価な労働力は、地域の労働市場や賃金水準にも影響を与えます。特定の産業が、実質的には「人身売買に依存したコスト構造」で競争力を維持している場合、適正な賃金や労働条件で運営する企業が不利になり、結果として産業全体が搾取に向かって傾いていくリスクがあります。これは、農業・建設・家事労働・オンライン詐欺など、世界各地のさまざまな分野で指摘されている問題です。:contentReference[oaicite:11]{index=11}

再搾取を防ぐために必要な視点:支援と制度をどう組み直すか

再搾取を防ぐための対策は、「取り締まりの強化」だけでは不十分です。むしろ、以下のような複数の層を同時に見直す必要があります。

  • ① 安全なステータスの確保:被害者が報復や送還を恐れずに支援を受けられるよう、一時的な在留資格や労働許可などを組み合わせること
  • ② 長期的な生活支援:住居・医療・メンタルヘルスケア・語学教育・職業訓練などを短期間で打ち切らず、数年単位で支える仕組みを整えること
  • ③ 家族・コミュニティとの関係性:帰還後のスティグマや経済的プレッシャーに対応するため、コミュニティ単位での支援や加害者への法的対応を組み合わせること
  • ④ 企業とサプライチェーンの責任:輸入国・消費国の企業が自社サプライチェーンにおける強制労働リスクを把握し、デューデリジェンス(人権リスクの事前調査)を義務化する動きに参加すること
  • ⑤ データと透明性の向上:UNODCやIOM、EU機関などが収集するデータのギャップを埋め、再搾取の実態が統計からこぼれないようにすること

2024年のUNODCの分析によれば、パンデミック期に一時的に減少していた検知被害者数は、その後の紛争や気候災害、経済危機とともに再び増加に転じ、2022年には2019年比で25%増、約6万9,000人の被害者が確認されています。:contentReference[oaicite:12]{index=12} この増加は、単に犯罪が増えただけでなく、「危機が被害者の脆弱性を増幅させている」ことを示唆しています。

こうした状況の中で、被害者支援を「コスト」とみなすのか、それとも「再搾取と違法市場の拡大を防ぐための投資」とみなすのかが、各国の政策選択の分かれ目になっていきます。

まとめ:再搾取リスクを見るための5つの視点

最後に、本稿で扱ったポイントを、読者が今後ニュースや政策議論を理解するための視点として整理します。

  • 人身売買は「一度救出して終わり」ではなく、同じ人が何度も搾取の対象になる再搾取のリスクを常に伴う
  • ILOやIOMの推計が示すように、移民労働者は強制労働のリスクが高く、在留資格や借金、家族の事情が再搾取の土壌になる
  • 被害者支援制度への不信や、移民・難民政策の「厳格化」は、加害者が被害者を支配するための脅し文句として利用されうる
  • 再搾取は個人のトラウマを深めるだけでなく、地域の労働市場や産業構造を歪め、搾取に依存したビジネスモデルを温存してしまう
  • 予防の鍵は、「取り締まり」と同じかそれ以上に、「安全なステータス」「長期的な生活支援」「企業の責任」「データと透明性」を強化することにある

再搾取の問題は、人身売買を「一度きりの犯罪」として見る視点を超え、「搾取構造がどのように被害者の人生と市場のルールを書き換えていくのか」を問うテーマでもあります。その構造を理解することが、被害者の尊厳を守り、違法な搾取ビジネスの土台を崩していくための第一歩と言えるでしょう。

久世 遥(人身売買・搾取構造担当)/ 犯罪経済ラボ

参考になる公的情報源

  • 国連薬物犯罪事務所(UNODC)が公表する、人身取引に関する世界報告書(Global Report on Trafficking in Persons)や関連統計
  • 国際労働機関(ILO)・国際移住機関(IOM)・Walk Free 財団による「Global Estimates of Modern Slavery: Forced Labour and Forced Marriage」
  • 欧州連合庇護庁(EUAA)や各国政府が公表する、人身取引被害者と庇護・移民政策の関係に関する調査報告
  • 各国の独立反奴隷制コミッショナーやNGO(Anti-Slavery International など)が発表する、被害者支援と制度改善に関するレポート

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