現金社会vsキャッシュレス社会──闇経済はどちらで育ちやすいのか

コンビニでスマートフォンをかざす人の隣で、分厚い封筒から現金を数えて支払う人がいる。どちらの場面にも違法性はありませんが、「闇経済はどちらを好むか」と問われると、多くの人が本能的に「現金だろう」と答えるはずです。しかし、キャッシュレス決済が進んだ北欧や中国では、むしろデジタル空間で新しい闇経済が広がっているという指摘もあります。

この記事では、現金社会とキャッシュレス社会のどちらが闇経済にとって「居心地が良いのか」を単純に決めつけるのではなく、現金の匿名性とデジタル決済の追跡性、それぞれを好む犯罪ビジネスの構造を整理します。そのうえで、スウェーデンなどの具体事例や、国連薬物犯罪事務所(UNODC)、金融活動作業部会(FATF)、欧州中央銀行(ECB)などが示す数字や論点を手がかりに、私たちの生活と政策にとっての意味を考えます。

現金社会とキャッシュレス社会──「闇経済に優しい」のはどちらか

まずは全体像として、「現金社会」と「キャッシュレス社会」の違いを整理します。ここでいう現金社会とは、日本やドイツのように、日常の小口決済で現金が今なお広く使われている国をイメージしてください。一方、キャッシュレス社会とは、スウェーデンや中国の都市部のように、カードやモバイル決済が標準となり、現金の出番が大きく減っている社会です。

各国中央銀行や国際決済銀行(BIS)の調査では、たとえばスウェーデンでは店舗での支払いのうち現金の比率が、件数ベースで一桁台にまで低下したとされる一方、日本やドイツでは依然として取引件数のかなりの部分を現金が占めると報告されています。また、中国人民銀行の統計では、都市部を中心にモバイル決済の取引件数が急増し、少額の支払いまでアプリで完結する姿が示されています。

このような違いは、闇経済にとっても環境の差として効いてきます。ただし、ここで重要なのは、「現金が多い=闇経済が大きい」「キャッシュレス=闇経済が消える」といった単純な図式は成り立たないということです。闇経済がどの決済手段を好むかは、犯罪の種類や関係者のネットワーク、当局の監視能力など、複数の要因に左右されます。

なお、現金流通量やキャッシュレス比率と闇経済の関係を示す統計は、UNODCやOECDの報告書でも推計値の幅が大きく、利用できるデータも国・地域ごとに偏りがあります。そのため、本記事で触れる数字はあくまで「おおよそのレンジ」として受け止め、精密な測量値ではない点に留意する必要があります。

闇経済はなぜ現金を好むのか──匿名性・即時性・シンプルさ

多くの犯罪ビジネスにとって、現金は依然として魅力的な手段です。国際機関や各国の金融監督当局が「大口現金取引のモニタリング」を重視し続けるのは、この基本が変わっていないからです。

現金が闇経済に好まれる理由は、次のように整理できます。

  • 匿名性:紙幣や硬貨そのものには名義情報が記録されておらず、取引の履歴も原則として残りません。銀行口座やクレジットカードと違い、「誰から誰へ」という記録をたどることが難しいのが特徴です。
  • 即時性:銀行振込や海外送金に比べて、現金はその場で価値を移転できます。違法取引の場では、「すぐに確実に支払いが完了する」ことが重視されます。
  • インフラ依存度の低さ:停電やネットワーク障害に強く、銀行口座やスマートフォンを持てない人とも取引できます。移民や難民、金融排除に直面する人々を巻き込む犯罪ビジネスにとって、大きな利点です。

その一方で、現金にも限界があります。大口のマネーロンダリング(資金洗浄)では、紙幣を物理的に運ぶコストとリスクが問題になります。スーツケースに詰められる現金の額には限界があり、国境を越えると税関や金融活動作業部会(FATF)の勧告に基づく申告義務など、リスクが急増します。

そのため、現金は「末端の販売・集金」や「犯罪の初期段階」に多く使われ、最終的に犯罪収益を合法経済に紛れ込ませる段階では、銀行口座・不動産・貿易取引・暗号資産など、別の器に乗せ換えられるケースが多くなります。

具体事例:スウェーデンのキャッシュレス化と地下経済の変化

ここで、キャッシュレス化が進んだスウェーデンを一つの具体事例として取り上げます。スウェーデン中央銀行(スウェーデン国立銀行・Sveriges Riksbank)は2000年代以降、現金流通の減少とデジタル決済の拡大について詳しい報告を出しており、「紙幣の流通残高がピークから半分以下になった」といった変化がよく紹介されます。

この国で、闇経済と決済手段の関係はどのように変化してきたと分析されているのでしょうか。スウェーデンのケースを、関係者・お金の流れ・規模感・当局の対応という4つの視点から整理します。

関係者の立場:闇市場のプレイヤー構造

  • 上流:違法薬物や偽造品などを国外から持ち込む組織犯罪グループ。バルト海沿岸や他のEU加盟国との間で、物流ネットワークを構築しているとされます。
  • 中流:都市部で販売や配分を担う中間業者。かつては現金での卸売が中心でしたが、近年はデジタル決済や暗号資産で一部決済する例も報告されています。
  • 下流:末端の売人や闇取引の利用者。ここでは依然として小口の現金取引が一定程度残っていると考えられています。
  • 金融仲介役:預金口座やプリペイドカード、フィンテック企業のアカウントを使って資金を移動させる人物・業者。正式には合法なビジネスでありながら、一部が悪用されるリスクを抱えています。

お金とモノの流れ:キャッシュレス化が変えたポイント

スウェーデンでは、日常決済のキャッシュレス化が進む一方で、闇経済におけるお金とモノの流れは次のように変容したと分析されています。

  • 末端消費者との取引は、小口現金が残りつつも、一部ではモバイル決済アプリやプリペイドカードが使われるようになった。
  • 中流〜上流では、海外口座への送金や電子マネー、暗号資産を経由して資金を分散するケースが増えたとされる。
  • 現金を大量に移動させる必要が減った一方で、インターネットバンキング詐欺やカード情報盗用など、サイバー犯罪が闇経済の「収入源」として成長した。

欧州刑事警察機構(Europol)のレポートでは、カード詐欺やオンラインバンキング詐欺など、決済関連サイバー犯罪による損失がEU全体で年間数十億ユーロ規模に達すると推計されるとされています。これは、単に現金を減らしただけでは、別の形の闇経済が勢いを増し得ることを示しています。

規模感と当局の対応・限界

スウェーデン政府や欧州連合(EU)は、マネーロンダリング防止(AML)とテロ資金供与対策(CFT)を強化するため、銀行やフィンテック企業に厳格な顧客確認(KYC)や取引モニタリングを求めています。EUのマネロン指令やFATFの勧告に沿って、疑わしい取引の報告制度も整備されてきました。

しかし、完全な封じ込めには至っていません。理由は、

  • 新しいフィンテックサービスや暗号資産企業が次々と登場し、監督の網が追いつかない
  • 国境を越えるオンラインサービスの監視には、各国当局の協力が不可欠で、連携のスピードに限界がある
  • 犯罪組織は、規制が強化された決済手段から、規制の弱い新興プラットフォームへと素早く移動する

といった構造的な要因があるからです。スウェーデンの事例は、「キャッシュレス化によって現金ベースの闇市場は一部縮小するが、デジタル空間を舞台にした新たな闇経済が成長しやすい」という教訓を示していると言えます。

デジタル決済が生む新しい闇経済──サイバー犯罪とマネロンの再編

キャッシュレス化が進むと、「追跡可能なデジタル記録が増えるから闇経済は縮小する」という期待が生まれます。これは一部では正しいのですが、同時に「サイバー空間での闇経済」が拡張する側面があります。

典型的なパターンをいくつか挙げてみます。

  • 盗まれたカード情報・口座情報の市場:サイバー犯罪者がフィッシングやマルウェアで盗んだクレジットカード情報やオンラインバンキングのログイン情報を、ダークウェブ上のマーケットで売買する。
  • マネーミュール(資金運び人):国外から送られてきた不正資金を受け取り、国内外の他口座や暗号資産ウォレットに送金する役割を担う人々。銀行口座名義を貸す形で巻き込まれるケースもあります。
  • 暗号資産とミキシングサービス:ビットコインなどの暗号資産を一度ミキシングサービスに通すことで、資金の出所を不明瞭にし、その後別のウォレットや取引所に移す「レイヤリング」の一部として利用される。

UNODCやFATFは、こうしたサイバー犯罪と暗号資産を使ったマネーロンダリングの拡大を繰り返し警告しており、各国の金融庁や金融監督当局も、暗号資産交換業者に対する登録制度やAML/CFT義務の強化を進めています。

つまり、キャッシュレス化は「闇経済の絶対量を自動的に減らす魔法の杖」ではなく、「犯罪ビジネスの形態とリスクの分布を変える要因」として理解したほうが現実に近いのです。

社会・生活への影響──誰が「得をし」、誰が「押し出される」のか

現金社会からキャッシュレス社会への移行は、闇経済だけでなく、日常生活や社会構造にも影響を与えます。その中には、闇経済と表裏一体のものもあります。

  • 金融包摂と金融排除:銀行口座やスマートフォンを持てない人々は、キャッシュレス化が進むほど正式な経済活動から排除されやすくなります。その結果、一部がインフォーマル経済や地下労働市場に押し出されるリスクがあります。
  • 税収と公平感:デジタル決済の普及で取引履歴が残りやすくなれば、売上の捕捉率が上がり、脱税の余地が減る可能性があります。一方で、現金を使い続ける小規模事業者だけが厳しく見られると、「監視される側」と「監視から逃れやすい側」の分断が生じかねません。
  • 治安コストの分布:現金強盗や窃盗は減少しても、オンライン詐欺やランサムウェア攻撃への対策コストが増えるなど、警察や司法のリソース配分も変わります。

日本銀行や欧州中央銀行の調査でも、高齢者や地方居住者など、キャッシュレス化に乗り遅れやすい層への配慮が繰り返し指摘されています。闇経済の観点から見ても、「誰が公式経済の外に追いやられやすいのか」を見誤ると、地下経済の温床を広げる結果になりかねません。

規制と取り締まりの枠組み──「現金規制」と「デジタル監視」のバランス

闇経済との戦いにおいて、各国政府や国際機関は「現金の大口取引規制」と「デジタル決済の監視強化」という二つの方向性を同時に進めています。

  • 大口現金取引の報告義務:一定額を超える現金取引について、金融機関や不動産業者などに報告義務を課す制度。FATFの勧告を受け、米国や欧州連合、日本など多くの国が導入しています。
  • 疑わしい取引の届出(STR/SAR):マネーロンダリングの疑いがある取引を金融情報機関(FIU)に報告する枠組み。日本では金融庁・警察庁、欧州では欧州銀行監督機構(EBA)なども関与します。
  • 暗号資産・フィンテックへの規制拡大:暗号資産交換業者や決済サービス事業者に対し、顧客確認や取引記録の保存義務を課し、国境を越えた資金移動をトレースしやすくする試み。

とはいえ、規制にも限界があります。現金の上限規制が厳しすぎれば、インフォーマルな生計手段まで締め付けることになりかねず、デジタル決済の監視を強めすぎれば、プライバシーや表現の自由を巡る懸念が高まります。欧州連合やOECDでも、「マネロン対策」と「基本的人権保護」とのバランスが繰り返し議論されています。

まとめ:読者が意識すべきポイント

最後に、本記事の要点を整理します。

  • 現金社会とキャッシュレス社会のどちらが「闇経済に優しいか」は、一概には決められず、犯罪の種類や監視体制によって好まれる決済手段が異なる。
  • スウェーデンの事例が示すように、キャッシュレス化は現金ベースの闇市場を一部縮小させる一方で、カード詐欺やオンライン詐欺、暗号資産を利用したマネーロンダリングといった新しい闇経済を拡大させるリスクがある。
  • UNODCやFATF、ECBなどの数字は、闇経済の規模やトレンドを把握するうえで有用だが、推計手法やデータの制約から「おおよそのレンジ」として読む必要がある。
  • キャッシュレス化が進むほど、銀行口座やスマートフォンを持てない人々が公式経済から排除され、インフォーマル経済や地下労働市場に押し出される危険があるため、「誰を公式経済に包み込むか」が闇経済対策の重要な論点となる。
  • 現金規制とデジタル監視を強めるだけではなく、健全な決済インフラへのアクセス拡大、公正な税・社会保障制度、教育とデジタルリテラシーの向上など、公式経済側の「受け皿」を整えることが、闇経済を縮小させる現実的な道筋である。

日常生活の中で、現金かキャッシュレスかを選ぶとき、その選択自体が直ちに善悪や闇経済の拡大を意味するわけではありません。ただ、「決済手段の変化が闇経済の形をどう変えるのか」という視点を持ってニュースや政策議論を見ることで、表と裏の経済がどのようにつながっているかが、少し違って見えてくるはずです。

鳥海 修司(闇経済マクロ担当)/ 犯罪経済ラボ

参考になる公的情報源

  • 国連薬物犯罪事務所(UNODC)が公表する、麻薬市場・組織犯罪・違法資金フローに関する年次報告書や統計資料
  • 金融活動作業部会(FATF)によるマネーロンダリング・テロ資金供与対策に関する勧告・相互評価報告書
  • 欧州中央銀行(ECB)、日本銀行など各国中央銀行が公表する決済手段・現金需要・キャッシュレス比率に関するレポート
  • 国際決済銀行(BIS)、OECD、世界銀行が公表する、金融包摂・影の経済・違法資金フローに関する分析レポート

重要な注意事項

本記事は、闇経済・犯罪ビジネス・マネーロンダリング・裏社会・ダークウェブなどの「構造」や「歴史」「社会的影響」「規制の枠組み」を解説するものであり、実在の犯罪行為を推奨・教唆・助長する意図は一切ありません。本記事の内容を利用して違法行為を計画・実行・支援したり、具体的な手口を模倣したりすることを固く禁じます。

本記事は、法律相談・投資助言・その他の専門的アドバイスを提供するものではありません。実際の行動や判断は、必ずご自身の責任で行い、必要に応じて弁護士・公認会計士・税理士・金融機関などの専門家にご相談ください。

サイト全体のスタンスと詳細な注意事項については、「犯罪経済ラボについて(目的と注意事項)」をご確認ください。

::contentReference[oaicite:0]{index=0}

コメント

タイトルとURLをコピーしました