シンジケートの競争と「紳士協定」:カルテル同士はどこまで殺し合い、どこから利害調整するのか

麻薬カルテル同士の抗争と聞くと、多くの人が思い浮かべるのは銃撃戦や爆発、ニュースを賑わせる残虐な事件かもしれません。しかし統計をたどると、メキシコでは2006年以降の「麻薬戦争」で累計36万件を超える殺人が報告される一方で、一部の時期には殺人率が一時的に下がる「奇妙な安定期」も観察されています。そこには、カルテル同士が水面下で結ぶ「パックス・マフィオーサ(マフィアの平和)」と呼ばれる暗黙の棲み分けが関係していると指摘されています。:contentReference[oaicite:0]{index=0}

本稿では、メキシコやコロンビアなどの事例を手掛かりに、「カルテル同士はどこまで殺し合い、どこから利害調整するのか」というテーマを、経済合理性と暴力のコントロールという二つの軸から整理します。まず、組織犯罪市場の全体像と競争構造を俯瞰し、そのうえでメキシコのカルテル間抗争と「紳士協定」を具体例として取り上げます。さらに、この不安定な均衡が地域社会や国家の治安政策にどのような影を落としているのかを考えていきます。

カルテル市場の全体像:独占・寡占・群雄割拠のあいだで揺れる暴力

国連薬物犯罪事務所(UNODC)の『World Drug Report 2025』などによれば、世界の違法薬物市場は拡大を続けており、合成ドラッグの台頭もあって、麻薬取引は依然として最も収益性の高い犯罪ビジネスの一つとされています。:contentReference[oaicite:1]{index=1} コカイン市場に限っても、国連やロイター通信の報道では、世界のコカイン供給量が2020年代に入り過去最高を更新し続けていると伝えられています。:contentReference[oaicite:2]{index=2}

こうした巨大市場を支配しようとする組織の典型例が、かつてコロンビアで世界のコカイン市場の大半を握ったメデジン・カルテルやカリ・カルテルです。カリ・カルテルは1990年代前半には世界のコカイン市場の約8割をコントロールしていたとされ、ある意味で「超寡占状態」を作り出していました。:contentReference[oaicite:3]{index=3}

他方で、現在のメキシコでは、シナロア・カルテル、ハリスコ・ニュー・ジェネレーション・カルテル(CJNG)、ガルフ・カルテル、ロス・セタスの残存勢力など、複数の大組織と無数のローカルギャングが入り乱れる「群雄割拠」に近い状態だと分析されています。:contentReference[oaicite:4]{index=4} このような環境では、カルテル同士の関係は単純な敵対ではなく、「局地的な全面戦争」と「一定の棲み分け」が入り混じった、きわめて流動的なものになります。

経済学的に見ると、カルテル同士の関係は、しばしば次の三つのフェーズを行き来します。

  • 競争フェーズ:縄張りやルート、取引先を巡って激しい暴力を伴う市場争奪戦が起きる段階。
  • 協調フェーズ:価格やルートをある程度分担し、「余計な戦争コスト」を避けようとする段階。
  • 裏切りフェーズ:新しいプレーヤーや利益機会が現れたことで、過去の協定が破られる段階。

ここで重要なのは、「協調フェーズ」が必ずしも平和を意味しないことです。暴力が完全に消えるのではなく、「どこまでが許容され、どこからが越えてはならないラインか」が、暗黙のうちに引き直されるだけです。

ビジネスモデルから見る「紳士協定」の合理性

麻薬カルテルも、基本的には「リスク付きの卸売業者」として振る舞います。コカイン、ヘロイン、メタンフェタミン、そして近年急増しているフェンタニルなど、商品ラインは違っても、彼らが追求するのは「単位リスクあたりの利益の最大化」です。:contentReference[oaicite:5]{index=5}

例えば、アメリカ市場向けコカインの多くを支配するメキシコ系組織は、コロンビアやペルーの供給源からメキシコ北部までのルートを掌握し、そこからアメリカ南部の複数の国境州へと商品を流します。米外交問題評議会(CFR)は、2000年代後半にはメキシコ系カルテルがアメリカに流入するコカインの約9割をコントロールしていたと指摘しています。:contentReference[oaicite:6]{index=6}

この規模のビジネスになると、カルテル同士の全面戦争は、単に危険なだけでなく「利益にとっても非合理」です。理由はいくつかあります。

  • 戦争コスト:武器、人員、賄賂、ロビー活動など、暴力のエスカレートには莫大なコストがかかる。
  • 供給の不安定化:ルートが一時的に麻痺すると、卸先や小売組織が他の供給源を探し始めるリスクがある。
  • 国家による介入:派手な暴力は、軍や連邦レベルの介入を招き、「誰にとっても損な状況」を生みやすい。

このため、同じ地域を狙うカルテル同士が、「この港はA、この陸路はB」「この都市は半々で分ける」といった形で、明示的・暗黙的な合意を作ろうとすることがあります。学術文献や安全保障レポートでは、こうした状態を「パックス・マフィオーサ」と呼び、表向きの治安指標が一時的に改善する場合があるものの、その裏側で汚職や支配構造が固定化されると指摘されています。:contentReference[oaicite:7]{index=7}

重要なのは、ここで言う「紳士協定」が、決して紳士的ではないという点です。協定の前提には常に暴力の脅威があり、「ルールを破れば家族ごと消される」というメッセージが共有されているからこそ、短期的な安定が成立します。これは、競争が法院や規制によって管理される合法市場とは決定的に異なる点です。

具体的なケース:メキシコのカルテル抗争と「パックス・マフィオーサ」

「競争と紳士協定」がどのように現れるのか、メキシコ北部から米国南西部にかけてのフェンタニルと銃器の往復ルートを例に考えてみましょう。2025年の国際機関のレポートによれば、バハ・カリフォルニア州、シナロア州、ソノラ州からアリゾナ州にかけては、フェンタニルが北へ、銃器が南へ移動する「新たなゴールデン・トライアングル」となっており、その多くがシナロア・カルテルの影響下にあるとされています。:contentReference[oaicite:8]{index=8}

同じ国境地帯には、CJNGや他の組織も進出を試みていますが、彼らが常に全面戦争を仕掛けているわけではありません。時期や地域によっては、次のような棲み分けが観察されることがあります。

ケースA:ルート/都市ごとの分担

  • 上流:太平洋側の港湾や内陸の製造拠点では、シナロア陣営が主導し、化学物質の調達と製造を担う。
  • 中流:陸路輸送では、一部のハイウェイや国境検問所周辺を別の組織が押さえ、「通行料」を取る形で関与する。
  • 下流:アメリカ国内での分配では、現地ギャングや犯罪ネットワークが小売に近い領域を担当し、メキシコ側のカルテルは卸売マージンを受け取る。

ここでの暗黙のルールは、「他人のトラックをむやみに襲わないこと」と「決められた通行料やマージンを守ること」です。ルールが守られている限り、暴力は必要最小限に抑えられ、地域の殺人件数は一定のレンジに収まります。しかし、通行料の取り分やルートの支配権をめぐって一方が合意を破ると、即座に報復合戦が始まり、地域の殺人率が急上昇する傾向があります。これは、UNODCやメキシコ政府の統計に見られる、特定州での殺人率の急騰と急落として反映されています。:contentReference[oaicite:9]{index=9}

ケースB:大物逮捕後の「協定崩壊」と暴力の再爆発

  • ある地域で、長年にわたり一つのカルテルが支配していた場合、その組織は地元警察や首長、事業者とのあいだに「静かな協調関係」を築いていることが多い。
  • しかし、指導者が逮捕・殺害されると、勢力が細かく分裂し、それぞれが同じ都市やルートを奪い合う「内戦状態」に陥る。
  • この段階では、既存の紳士協定が消滅し、より小さなギャング同士が街区単位で争うため、住民から見た暴力体験はむしろ悪化することがある。

米議会調査局のレポートなどは、シナロア・カルテルから分裂したCJNGや、ガルフ・カルテルとロス・セタスの対立が、こうした「協定崩壊後の暴力の連鎖」を引き起こしてきたと分析しています。:contentReference[oaicite:10]{index=10}

カルテル同士の棲み分けが地域社会にもたらす影響

カルテル同士の「紳士協定」によって暴力が一時的に減少したとしても、それが地域社会にとって望ましい状態とは限りません。むしろ、多くの場合、次のような副作用が強く現れます。

  • 汚職の固定化:地方自治体や警察が特定カルテルと結びつくことで、「支配の安定」と引き換えに組織犯罪への依存が深まる。
  • 経済のゆがみ:建設、不動産、観光、物流などの合法ビジネスに不正資金が流れ込み、真っ当な企業が競争で不利になる。
  • 若年層の選択肢の変質:合法的な職よりもカルテル関連の仕事の方が短期的な収入が高く見えるため、地域の若者が組織に取り込まれやすくなる。

コロンビアのカリ・カルテルは、かつて通信会社やサッカークラブ、不動産事業などに資金を投じ、合法経済に深く入り込んでいました。:contentReference[oaicite:11]{index=11} メキシコでも、観光地や港湾都市でホテル・レストラン・不動産開発にカルテル資金が流入し、外から見れば「経済が活性化している」ように見える場合があります。しかし、その裏では恐喝や恐怖による支配が続いており、住民は「平和な日常」と引き換えに沈黙を強いられます。

さらに、日本にとっても無関係ではありません。メタンフェタミン(覚醒剤)の一部は東アジアやオセアニア市場と結びついており、国際的なシンジケートが日本の暴力団や密輸ネットワークと部分的に連携していると指摘されてきました。日本国内では表立った「カルテル抗争」は見えにくくても、その背後にある国際的サプライチェーンと利害調整の影響は、薬物乱用や暴力事件の形で確実に波及しています。

国家と国際社会の対応:暴力を抑えつつ構造を変えられるのか

各国政府や国際機関は、こうしたカルテル間の競争と協調のダイナミクスにどう向き合おうとしているのでしょうか。UNODCや世界銀行、OECDなどのレポートは、単に軍事力で供給側を叩くだけでは、暴力の再編を招くだけで根本的な構造は変わりにくいと指摘しています。:contentReference[oaicite:12]{index=12}

メキシコやコロンビアでは、過去に「強硬な取り締まり」と「交渉的アプローチ」の両方が試みられました。いくつかの地域で、一時的に殺人率が下がったケースもありますが、それが裏での「パックス・マフィオーサ」に依存していた場合、長期的には別の組織の台頭や分裂を通じて、再び暴力が噴き出すパターンが繰り返されています。:contentReference[oaicite:13]{index=13}

近年は、金融活動作業部会(FATF)の勧告などを通じてマネーロンダリング対策を強化し、「利益の洗浄ルート」を塞ぐアプローチが重視されています。これは、カルテル間の「紳士協定」が成立する前提となる利益プールを小さくする試みとも言えます。ただし、暗号資産やダークウェブを利用した新しい資金移転手段が登場しており、規制当局と犯罪組織の「いたちごっこ」は続いています。:contentReference[oaicite:14]{index=14}

最終的には、司法制度の信頼性向上、警察や軍の腐敗対策、地域の雇用機会の拡大など、合法経済側の土台を厚くすることが、カルテルの影響力を削ぐうえで不可欠です。しかし、その過程では短期的に暴力が増減し、「安定かつ不健全なパックス・マフィオーサ」と「不安定だが変化を生む移行期」のあいだで、難しい選択を迫られることになります。

まとめ:読者が意識すべきポイント

本稿で見てきたように、麻薬カルテル同士の関係は「敵か味方か」という単純な二分法では捉えられません。激しい抗争の裏側で、縄張りやルート、価格をめぐる「紳士協定」が結ばれ、その協定が破られたときに再び暴力が爆発します。このサイクルは、メキシコやコロンビアだけでなく、世界のさまざまな犯罪市場で形を変えながら繰り返されています。

  • カルテルも「コストとリスクを計算するプレーヤー」であり、暴力のレベルはその計算結果として上下する。
  • 「パックス・マフィオーサ」は短期的な治安改善と引き換えに、汚職や経済のゆがみを固定化する危険な均衡である。
  • 特定の組織を潰しても、根本的な利益構造と需要が変わらなければ、新たなプレーヤーが空白を埋める。
  • 日本を含む消費国・金融センターも、需要と資金洗浄の面で、このゲームの一部を担っている。

読者がニュースでカルテル抗争や麻薬摘発の報道を目にしたとき、その背後には「どの組織が、どのルートや市場をめぐって、どの程度の暴力をコストとして許容しているのか」という、冷ややかな計算が存在することを思い出していただければと思います。その構造を理解することが、被害を減らし、より現実的な対策を議論するための第一歩になります。

九条 直哉(カルテル・ドラッグ担当)/ 犯罪経済ラボ

参考になる公的情報源

  • 国連薬物犯罪事務所(UNODC)が公表する、麻薬市場・組織犯罪に関する年次報告書や統計資料
  • 金融活動作業部会(FATF)によるマネーロンダリング・テロ資金供与対策に関する勧告・相互評価報告書
  • 各国の金融監督当局(例:金融庁)が公表するマネロン・テロ資金供与対策ガイドラインや解説資料
  • 国連・世界銀行・OECDなどが公表する、汚職・違法資金フロー・影の経済に関するレポート

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